社会的な心理考察記

社会に働く心理について考察したブログです。

五輪エンブレムの盗作疑惑をめぐる「大人の対応」

東京オリンピックをめぐるお粗末な事態がとにかく続いている。日本人がこれほどまで精神的に弱くなったのか、あるいはもはや誰かが悪意を持って仕向けているんじゃないかとまで勘ぐりたくなるほど…。

その中で、今回は五輪エンブレムの盗作疑惑をめぐる話から自分の考えたことを述べてみたいと思う。

 

エンブレムの盗作疑惑は、デザイナーの佐野氏による数多の盗作疑惑、さらには盗作と本人が認めたものまでに彩られていて、ネットの喧騒が尽きないものになっている。

アメリカのデザイナーの盗作であることが明白となったものは、ネットでの追及を発端にしたものだ。

該当するアメリカのデザイナーは2名いて、1名は明らかな盗作により利益を得ていたのなら法的手段を検討する、と答え、1名は明白な盗作ではないから法的手段までは検討していない、と答えていた。

 

ここで気になったのは、法的手段までは検討していないと答えたデザイナーに対して、「大人の対応」と称賛する反応があったことだ。なぜに大人の対応なのだと?

他にも、ベルギーの美術館ロゴに関して、使用差し止め請求を行っていて見苦しい、対応の仕方が子供だ、売名だ、なんて論調も存在していたのは大いに疑問を感じた。

 

大人の対応という言葉は、スポーツで使われることが多い。プレー中に挑発してきたり感情的になってくる相手に対して、自分も感情で応酬するのでなく冷静に相手をいなすことをほめる言葉、と言えるだろう。こういうときは我慢することが大事なのだということであって、全くもってそのとおりである。

 

しかしデザイナーの件はどうだろうか? 相手が明らかな盗作をしてきているわけだ。

これに対して、法的手段を取らず冷静に相手をいなす…なんて態度が大人の対応なのだろうか? それは単なる泣き寝入りだろう。

明白な盗作はされていないから法的手段は取らないとしたデザイナーも、あくまで明白な根拠までは存在しないから法的手段は取らない、ということなのだろうと思う。

明白な違法行為を行ってきている相手に対しては、法的手段で対応するのは当然のことなのだ。これを我慢することは大人の対応でも何でもない。

 

また性懲りもなく日本人論となって申し訳ないが、法的手段を取らないデザイナーに対して大人の対応、なんて言葉が出るところに、日本人の「我慢の美徳」の精神が垣間見える。

相手が自分に何をしてきてもひたすら我慢するのが大人なのだ、なんて理屈は絶対に成り立たない。このことは覚えておきたい。