社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

攻撃的な思考停止ワードあれこれ

 日野瑛太郎氏の書籍脱社畜ブログにて、「そんなの常識だろ」「甘えるな」といった言葉への批判が取り上げられていたのだが、この内容にはよく共感できるものがあった。こうした言葉は思考停止ワード、とりわけ攻撃的な思考停止ワードであるとして捉えられる。会社の上司などで、ある種のパターンをもってこうした言葉を吐いている人は確かに存在するだろう。

 今回は、攻撃的な思考停止ワードとして「そんなの常識だろ」「甘えるな」を始め、自身が個人的に考えたものを追加して紹介してみたい。

 

「そんなの常識だろ」

 合理性のない決まりごとや慣習へ疑問を投げかけられた際に、開き直り的に出てくる言葉である。

 合理性があるならその旨を説明すればいいだけで、この言葉が出てくる時点で、合理性がないことを認めているも同然となる。

 

「生意気だ」

 合理的な主張に対して、自分が年上ということしか反論できそうな材料がなくなったときに出てくる言葉である。

 年齢のことを持ち出されると、それ以上の話ができなくなる。

 

「甘えるな」

 本来は怠慢への要望など、合理性のない提案をたしなめるための言葉なのだが、これを濫用してしまうということがある。すると、合理性のある提案が行われたときにも、そこへ無理に蓋をしようとするときに、この言葉が出てくる。

 業務の簡素化の提案が最たるものだが、これに「甘えるな」で蓋をされると、もうどうしようもなくなる。

 

「勝手に~するな」

 本来は合理性のない自己判断で動いている人をたしなめる言葉なのだが、これも濫用してしまうことがある。すると、担当者がおよそ合理性のある自己判断で動いていたとしても、細かい部分で少しでも気に入らないことがあったときに、この言葉が出てくる。

 これを言われると、何でもかんでも了解を得ないといけないのか、という息苦しさに囚われてしまう。

 

「言い訳だ」

 本来は、何か問題が起こったときに担当者の落ち度があったと言える部分があるのに、言い逃れや責任回避をしようとする姿勢を正すための言葉である。しかしこれも濫用してしまうということがある。

 すると、問題は起こったが担当者としては義理を尽くしていたという状況があったとき、その説明をしているのに、乱暴に封じ込めてあくまで担当者の落ち度にしたいときに出てくる言葉となる。

 担当者はできる限りのことをしていたと説明をしても、「言い訳だ」と封じられると、予期せぬことまで担当者の落ち度にされることになるわけで、担当者としては苦しくなる一方である。

 

 

 おそらく代表的なものとして5つを挙げてみた。他にもあるかもしれないので、何かそうした話やエピソードを頂ければ幸いである。

 そして、攻撃的な思考停止ワードが使われる背景についても説明をしてみたいのだが、長くなりそうなので次回に分けたい。