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社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

平たく解説・公務員心理 「増加する予算、過剰な省益追求」その1

 [今回の心理場面]
 国民A:国の借金が膨れ上がる一方というニュースは聞くけど、身近なところでは影響を感じることはない。けど本当にこのままで問題ないの?

 

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  毎年、国の借金が1,000兆円に達した、といったニュースを見聞きしないでしょうか?このことに併せて、「国の予算額が過去最大に達した」という内容も触れられているかと思います。

 

 もはや、国の借金の話は長く言われ過ぎていて、現実味を失っているようなところもないでしょうか?

 「国民一人あたりに換算しても何百万円の借金で…」など言われても、身近なところでその影響が表れているわけではないし、どう問題があるのかが見えてきません。

 予算に対して税金などの収入が不足することに、国債を刷って穴埋めするにしても、そのことでの問題は表面化しないし、それでいいんじゃないの?という声も聞こえてきそうです。

 

 ただ、国債の発行で借金を増やし続ける一方では、単純な話で国外、国内からの日本国に対する信頼がいつかは損なわれるのは明らかでしょう。
 借金の増加を止める、額を減らすことは当然に必要なことであり、こうした事態を招く構造を改善することが必要となります。

 

 そして…その原因を考えるに、筆者としては、霞が関の中央省庁の構造が主要な問題を生んでいるのではないかと考えています。

 霞が関の中央省庁の様子を見聞きしていると、「過剰な省益追求」が行われているという実態が想像されます。

 「省益追求」とは、各省庁が予算をはじめとした自省庁の権益を拡大、確保しようとするものです。

 そして、その省益追求を行う程度が、他省庁の事情を顧みないほどのものとなっているわけです。

 各省庁が社会のバランスを失わせるほどの省益追求に走っていると見受けられ、さらに財務省によるコントロールが十分機能していないため、予算要求の額が増加する一方になるということですね。

 このことが、国の借金額が増加する一方になる原因であると考えられるのです。

 
 この過剰な省益追求について、次回は時代背景からその不適切さを述べたいと思います。

 

日本国はいくら借金できるのか?―国債破綻ドミノ (文春新書)