平たく解説・公務員心理 「過剰な説明責任」その1
[今回の心理場面]
上位機関A:国民から税金を取っている以上は、そのあらゆる使い道を厳しく問い詰めなくては…。
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行政組織では予算の使い切りが行われることを述べてきましたが、併せて予算の執行においては、予算を配布する上位機関より説明責任を問われることとなります。これは国民からの税金から支出を行う以上は、しかるべき流れとは言えるでしょう。
しかし、日本においてはその説明責任を問う程度が、しばしば過剰なものとなっているように見受けられるのです。
おそらくその原因として、日本の国民性として税金は取られるものという意識が強くあるために、取る側としては税金の使途に係る説明を重視しようとする、ということがあるのではないかと考えられます。
その考え方により、上位機関は下位機関に対して配布した予算について、様々な面で説明責任を過剰に追求しようとする慣習が生じているわけです。
「過剰な説明責任」を追求する意識は、「過剰な信憑性」を追求する理屈に通じるものとなり、上位機関が下位機関に対して過剰な信憑性を追求してしまうものと言えます。
ただ、信憑性を追求し過ぎるとその分業務量が対処不能な量となり、信憑性を追求しきれないというジレンマが存在するわけですね。
そして、このジレンマが「過剰な説明責任」の追求において生じると、余力が尽きてしまって説明責任を追求し切れない部分が生じることが想定されるのです。
「過剰な説明責任」の追求により、どのような弊害が生じるかについては、次回で述べていきます。