社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

「できる人」の要件を個人的に考えてみた

 社会人の会話で、人について話をするときは「できる人」という表現が何かと出てくる。およそ、一会社、一部署ごとに数名以上の職員は、「できる人」の認定を受けているものだろう。そして、「できる人」は「出世する人」、そう読み換えてもいいものだと思う。

 以下、「できる人」の認定を受ける要件について、個人的に考えているものを述べたいと思う。かなりの長文になるが、今回の一回で述べきりたいのでご了承願いたい。

 

・受け答えが冷静であること

 これは社会人に限らず、人間であれば誰しもが理想とすることだろう。受け答えが冷静であり、答えに詰まることがないというだけで、その人の言葉には大変な説得力を感じるものだ。

 

 ただ、話題の中で最高の言い回しを瞬間瞬間で引き出せているというような人は、まず存在しないだろう。よくある話だが、「最高」ではなく「最善」の言い回しを素早く選べること、これが必要なのだと思う。

 自分の話でもあるのだが、会話の中ではどうにも「最高」の言い回しをすることに頭が向いてしまうことも多い。そうすると答えが遅くなったり、発言の機会を逃したりするもので、これではできる人の評価を受けることは難しい。

 

 受け答えの冷静さを身につけるのはトレーニング次第でなんとかなる部分はあるかもしれないが、先天的な要素が強いようにも思えるので、難しいところだ。

 

・ほどほどに残業していること

 これは単純に、残業したくない、早く帰りたいといった消極的な姿勢を見せない人のことである。こうした姿勢が垣間見える人は、やはりどうしてもできる人とは思えなくなる。

 

 ただ残業をし過ぎていると、それはそれでできる人とは見られない。仕事の効率が悪いか、仕事を押し付けられて断れないような弱い人か。そう判断されてしまうからだ。あくまで仕事の効率がよくて、さらに仕事をある程度多めに引き受ける意思があるので残業もほどほどに多い、そういう人ができる人の要件だろう。

 自分は一貫して残業は原則的にすべきでないという立場を取っているが、出世をしたいとなると別の話となる。おそらく欧米においても、出世を望む人であれば残業も厭わずこなしているのではないだろうか。

 

 ただ、業務量が慢性的に多い職場であれば、前提が変わってくる。皆が皆残業をし過ぎるくらいしていれば、その量の区別がつかなくなるわけで、残業の程度ができる人の要件を成すことはなくなるだろう。そうした状況では、残業に取り組む際の姿勢が問われることになる。次に述べる要件のように、無批判的に取り組めていることが重要なのだ。

 

・若手のうちは無批判的に動けること

 この点はまず、「属人思考」について説明をしたい。

 この概念は、何を言っているかでなく誰が言っているか、ということが重視されるというものだ。そのため、立場を得た人であればありきたりなことを言っていても説得力を帯びる、立場の低い人であれば素晴らしいことを言っていても聞く耳を持たれない、こうした構図はしばしばあるものと言われる。日本においては年功序列も絡んでくるため、若くて立場の低い人の話は、特に聞いてもらえなかったりする。

 

 ここでまた自分の話になるが、自分は組織の制度の不備に面した時に、いちいち抜本的な解決案を深く考えてしまう性格である。「こうしたらいいのに…」「なんでこうしないんだろう?」といった思考が、しばしば頭の中に渦巻いている。

 ただ、先の属人思考の概念を考えると、若手のうちから劇的な解決案ばかりを考えていても、立場の低さから聞いてもらえるはずがないのだ。なのでこうした人間が評価を受けることはなく、できる人になることはない。若手のうちに尖った言動、姿勢が見られることで、逆に問題児的な扱いを受けるものだ。

 

 「できる人」の要件として、若手のうちは個人的な考えを入れ込まず無批判的に動けることが肝要なのだと思う。「組織の意思を粛々と遂行する」という表現がふさわしく、こうした人が組織として好まれるのは当然である。もちろん無批判的というのは、言われたとおりにのみ動くなんてことではなく、組織の意思を汲み取って純粋に動くことができる、ということである。

 

 彼らは制度の不備に面したようなときには、抜本的な解決案を考えるのでなく、表面的な部分を押さえてうまくやりすごすのだと思う。

 また、研修を受けることはわかりやすい出世の要件だったりするが、組織によっては意義のよくわからない研修を用意したりもする。「なんだこの意味のない研修は?」と思ってしまうようなものなのだが、できる人はこうした研修にも不平を言わず積極的にこなしていくのだろう。それらの是非は置いておいて、できる人の要件としては絶対的に必要となることだ。

 

 ただ、出世をして要職に近づいた頃においてまで、組織の制度に無批判的であるのはさすがに好まれない。要職に近づいた頃には、少しずつでも制度の不備を正そうとする、あるいは今までその組織が取り組まなかった新しいことを提言していく、ということが求められるだろう。

 若手のうちは無批判的に動くことができて、要職が近づけば少しずつ批判も込めていく、そういう人ができる人、出世する人なのだと思う。もしかしたら、要職に近づいても無批判的であることが出世の要件であるような、そんな組織もあるのかもしれないが…。

 いずれにしろ、組織への批判というのは出世を重ねてから少しずつ込めていくもので、若いうちから批判的な姿勢を見せるのは望ましくないのだ。(特に日本においては。)

 

 以上が個人的に考えている「できる人」の要件なのだが、いかがだっただろうか。他にも抜けているエッセンスがあれば、ぜひご意見を頂ければ幸いである。

 述べてきた3つの要件を揃えることは、文章に表してみるとその難易度の高さが実感できる。そして次回は、このような難易度の高さがあるにしては、できる人の認定を受ける人がやたら多いような気がすることを述べたいと思う。

 

 そして、併せて今回の結論として述べておきたいのが、できる人の要件には、先天的なものが大いに含まれるということだ。冷静な受け答えができること、残業への嫌悪感を覚えないこと、組織の意思に無批判的になれること。いずれも先天的な要素が強く、無理な人には無理、というものだ。なのでそういう人は「できる人」論に心を惑わされて振り回されずに、割り切りを覚えたうえで、自身の立ち位置を探っていってもらいたいと思う。自分にも当てはまることとして自戒していきたい。

 

できる人の仕事のしかた

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