社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

育児参加する男性が人事的な不利益を被るのって、なんとかならないか

  近年は、女性の社会進出、女性の登用というものが叫ばれている。女性というだけで家事育児の重荷を負わされ、社会に進出しにくくなっているというのは、生まれながらの身分制のような話なのでやはり改善すべきものだろう。

 

 ただ、自身の経験も含めて考えるところなのだが、この話と同時には男性の家事育児参加について考えるべきではないだろうか。イクメン」という言葉も聞くことが多くなったが、なんだか希少種を新奇な目で見ているようで、男性の家事育児参加の概念が浸透しているとは感じにくい。本来は、このような言葉が使われるまでもなく自然に受け入れられるはずのものだろう。

 以下、家事については子供がいるとその負担が増大するものとして、「育児」に含めて一まとめに語りたいと思う。夫婦二人だけなら、大人なので身の回りの話で省略できる部分も多いが、子供はそうはいかないので大いに手間がかかる、という感覚に基づいている。

 

 男性の育児参加だが、自分はこれを大いに実践している。おそらく奥さんとほぼ均等にこなせている。行政組織勤めなのはあるが、妻、旦那ともにワークライフバランスを満喫できているのではないかと思っている。しかしこの姿勢について周りの人と話が出ると、およそ驚かれる、珍しがられることのほうが多い。

 世間話の範囲で驚かれたりする分なら問題はないのだが、問題となるのは、職場での評価だ。

 

 「組織文化に応じて人事評価が決まる」というのは組織における鉄則である。革新的な職場ならそうした姿勢の人が正しく人事評価を得られるが、事なかれ主義の職場なら事を荒立てない人が人事評価を得たりする。そういうことであって、先の鉄則は後者のような状況を嘆くときに使われやすい。

 そして、男性が育児参加をそれほどしないもの、というのは日本人の文化であり、これが大半の組織においても組織文化になっているだろう。すると、育児参加する男性は組織文化に反するものとして、往々にして人事評価が下げられる…ということが想定されるのだ。

 

 自分は子供の保育園のお迎えの時間、帰ってからの育児の時間を確保するため、帰宅はほぼ全て定時である。さらに、子供が熱を出したら仕事を切り上げてお迎えに行く、子供が保育園を休んで家で看る必要があれば奥さんと均等に休暇を取る、といったことをベースに仕事をしている。周りにもその旨を明示している。

 

 残業はほぼしない、1,2日の休みがちょくちょく生じる、という仕事の仕方なのである。そこへ、男性なら家族の時間は置いておくべきで、残業に励んだり年休もあまり取らずに頑張るものだ、という組織風土があったとしよう。すると、こんな人間は使い物にならないとして、全く人事評価を得られなくなるだろう。下手をすると、組織によっては問題職員と同様の扱いとされ、一切の昇進ができない、暗に退職を迫られるなどの不遇を受けるのかもしれない。

 

 もちろん、家族や育児の時間を優先する姿勢を取り、それでいて幹部などの要職への道も公平に用意しろ、と求めるのはさすがに厚かましいとは思う。しかし、定時まではまっとうに仕事をしている、休暇も所定の範囲内で収めている、ということであれば、ある程度の人事評価は得られるのが筋ではないだろうか。そこへ人事評価をほとんど与えないとなると、その理由は怪しくなってくる。

 

 所定の労働時間内、休暇日数内ではまっとうに仕事をしている人間が、人事評価を全く得られないということであれば、それは組織風土による色眼鏡がかかっているのだろう。そうしたところには日本文化の旧態依然さを感じずにはいられない。

 ここまで、あくまで一般論として語ったつもりである。自分が実際に人事評価を得られていないというわけではないつもりだが、個人の主観が入り込んでいるように見えればご容赦願いたい。

 

 こうした日本文化の旧態依然ぶりは存在するわけだが、しかし冒頭で述べたように、女性の社会進出を叫ぶのであれば、育児参加する男性への不利益が及ばないように図るという、この両者をパッケージとして考えるべきなのだろう。

 もう既に長々と述べているが、女性が社会進出するならば男性の育児参加が必要になるということについては、個人的な意見を次回で述べてみたい。