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社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

自腹補填での引責

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6137881

なかなか革命的な話だが…

大阪市の観光局長が、音楽イベントの赤字を自腹で補填したとか。

組織における失策については、それが「トップの強行」によるものでも、民間企業では社長、幹部の引責辞任、あるいは部下でのトカゲのしっぽ切りに終始し、さらに行政組織にあっては税金を散財しても責任部署のトップが責任を取ることすらなく、のうのうと出世を続けるという話にもなる。

失策においては実際の被害と責任の取り方が大きく乖離するのが常であり、そうしたいつもの慣例を考えると、この自腹補填の話は革命的すぎて眩いほどである。

その失策が「トップの強行」であることが明らかならば、そのトップに自腹を求める…本当にこうしたルール設計を行うことができるならば、失策の被害どおりの責任が取られることになり、利害関係者、市民国民に一切の不満を燻らせることを解消できる。

失敗したら自腹を切らないといけないなら何の決断もできなくなる、とは言うが、「トップの強行」というのは組織全体の了承を得ていないわけなので、それで失策を犯したのであればトップが個人で責任を取るのが筋となっても不思議ではない。

トップの強行でなく組織全体で決断したことでの失策であれば、何も自腹を切る必要はないわけで。

ただ…このニュースでの観光局長は潔いものだが、面の皮が分厚いトップ、幹部にあっては、たとえ自身の強行で失策を犯したとしても、それが「トップの強行」であったとはまず認めようとしない。あるいは失策ではなかった、とさえ言い張ったりもする。恐ろしいことに。

そうなると、やはり自腹補填で個人が責任を負うことはなく、組織全体へ薄く広く延ばしたあいまいな形で責任を取るという話になる。そしてこれが実際の被害どおりにならない。

やはり、トップの強行による失策については、良心のあるトップが自腹補填をするケースに期待しながらも、基本的には組織の責任に転嫁され、実際の被害と合わない責任の取り方がなされるのが世の常である…と寂しくも思わなければならないのかもしれない。。

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