社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

「実家の親に手伝ってもらえばよい」の安直さ

小さな子供を抱えている身としては、子供が熱を出して3日4日と休まなければならないというのは、仕事をする上で堪える。だが、妻が専業主婦でいれば面倒も見やすいのだ…なんて考えるのは今の時代浅はかなものであって、共働きを前提にしながら子供の病気、子供の世話に向き合うことを考えなければならない。
そして、共働きで働きたいというのはわかるが、それならば子供のことは実家の親に任せればよい…続いてこんな発想になるわけだが、自分としてはこの発想も浅はかなものだと感じる。

 

子供が熱を出しやすい、家で1人にはできないという時期は、およそ6歳までと考えられるわけだが、平均的にその祖父母の年齢は60代ということになる。この方々に孫の面倒を見てくれと頼むことになるが…。
現代の感覚として何となくわかると思うのだが、今の60代は本当に元気だ。言い換えると、60代でも楽しみや刺激が多いために活力に満ちている、つまり自身の楽しみをまだまだ持ち続けている、ということになる。これは昔にはなかったことだろうし、医療の充実もあるけれども、決定的な要因はネット社会の拡大にあると思う。60代でリタイアを迎えるような時期にあっても、ネットワークにより外部の様々な楽しみに簡単に触れられるようになったのが非常に大きい。そして…このような活力に満ちた60代の方々に、孫の世話にでも専心しておいてくれ、とは誰が言えるだろうか。

さらに、親と同居はしたくないしすぐ近所なのも嫌、ほどほどに離れたところに住むのが一番、という親子間の住居面の心情もあるし、60代であれば仕事を普通に続けているということがある。となると、当たり前のように孫の世話を日常的に頼むのはどだい不可能なのだ。

 

こうした現代の時代背景を見るに、実家の親に手伝ってもらえばよいと簡単に考える裏側には、60代の人は「子供と同居かすぐ近所に住んでいて」、「仕事をしておらず」、「自身の楽しみも持っていない」、ならば孫の世話をするのにちょうどいいだろう?なんて意識が潜んでいることがわかる。これはまさに60代の方々の権利意識を軽んじた、時代錯誤ともいえる感覚だ。
(平気でこれら3点もの権利を軽んじているのだから、恐ろしいものである。)

 

やはり、子供の育児というのは夫婦2人で完結させるのが原則であって、実家の親に頼むというのはあくまで臨時的なサポートとしてのみ望むべきだろう。職場の側も、その原則を頭に入れ込んでおくべきなのだ。

 

正直なところ、親が自身の権利を我慢しても子供夫婦へ日常的なサポートを行うに値するのは、夫婦共働きでいずれかが医者や弁護士などをやっている、そういうケースに限られると思う。やはり、医者や弁護士といった社会的に確固たる地位を有している職業であってはじめて、孫の世話で親のサポートを惜しみなく受けるに値するのではないかと思う。
ただこれは言い換えれば、共働きでいずれも普通の勤め人でしかないのならば、親の援助を日常的に受けるには値しないということになる。普通の勤め人同士で、いずれかが少しばかりの出世をする…そんな程度の状況に面して、「親の日常的なサポートが必要になる」などと安易に考えるのはいかにも社畜的に映る。(同様に、少しばかり出世する程度で奥さんが専業であることが必要、と考えるのもいささか社畜的だ)


やはり、普通の勤め人同士であるならば親に我慢はさせず、臨時的なサポートを受けるにとどめるべきだし、職場もそうしたメンバーは夫婦だけで子育てを完結できるよう配慮すべきだ。職場が親のサポートを当たり前のように語って子供の病気で休むことをけん制するというのは、どうにも適正なことだとは思えない。

 

もちろん中には、孫の世話をすることが楽しいと思える人もいるので、親がこうした人であるなら普通の勤め人であっても日常的なサポートを頼むのに何ら問題はないだろう。だがむしろ、現代ではこうした人のほうが少数派になっているのは明らかなわけで、にも関わらず職場が親のサポートを当たり前のように語るというのはやはり間違っているし、時代錯誤であるとしか言えないのである。