社会的な心理考察記

社会に働く心理について考察したブログです。

理想を追求しすぎて、目先の堅実さが失われるというジレンマ

 この話も、以前に一度書いたことがある。阪神大震災の復旧で、一部の復興を手助けすれば全体にとって不公平になる、という驚くべき理屈が取られたという話に基づいている。理想を追求して目先の堅実さを失うということなのだが、このような大きな話においてだけでなく、日常の場面でもこうした心理はしばしば見受けられるように感じられる。

 学生あたりならばよくあることだと思うが、自分の理想が固まるまでは何も動き出さない、という心情があったりするだろう。そして、何も動かなかったことは間違いで、できることはやっておけばよかったと後悔したりもする。目先の堅実さを失ったということで、これがこの心理にあてはまる。

 

 ただ、成長途中の学生であればいいのだが、会社の人間であったりそういう大人がまだこんな話をすることが多いように思われるのだ。

 わかりやすい話は、仕事相手に何かを伝える際に、10のうち10すべてを伝えようとすることだ。もちろん伝えられる側としては、一度に10を伝えられても煩わしく思ってしまって処理しきれずに、結局2や3しかやってもらえないということがあったりする。こうした話は実に残念だ。

 最初に伝える量は6や7に抑えることで、5あたりを確実にやってもらえばよかったのだ。細かい部分までは最初から伝えず、要点を絞ってわかりやすくするということでもある。細かい部分は後から追加して対応してもらえばいいのだ。(もちろん、それができないときは除くとして。)

 

 構成員がこうした心理にこだわってきた結末として、細かいことにはうるさいが重要なことが抜け落ちている、そんな矛盾を抱えた組織というのもあったりはしないだろうか。もはや、細かいことにうるさい組織というのは、およそ組織として重要な部分を見落としている、それが一般的な真理として語れるんじゃないかと思う。

 

 また、再び行政組織の話をしたい。行政組織でこの心理が現れるところで特に弊害が大きいと思うのは、予算の査定と評価である。予算の査定にしろ評価にしろ、とにかく細かい部分まで含めて臨もうとするのだ。もちろん理想としては、国民の税金に係る部分だから1円単位でチェックを入れたいと思うのだろう。しかし人間の能力を考えれば、そんなことは全く現実的でない。

 むしろそうした細かい姿勢で臨むことで、予算の割と高額な部分で手落ちがあったとしても、それを見落とすということが想定されるのだ。特別会計や補正予算といったものがザル気味に語られたりするのも、そうした見落としが積もり積もってのことなのだと思う。

 対照的に一般会計は1円単位でのチェックが行われているわけで、これは本末転倒以外の何者でもないだろう。

 

 これもまた「やりがい論」「できる人論」と同様なのだが、理想を追求して目先の堅実さを失う、こんな子供じみた心理を大人が持っていてはいけないのだ。目先の堅実さを優先するべきであって、そうすることで大きな手落ちが生じることを確実に防止する、それがしかるべき振る舞いというものだろう。

 

危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)

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