社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

日本の男性には、妻を使用人とみなすかのような心理が存在してないか

 タイトルだけで、およそのことは把握頂けるかもしれない。日本人男性によく見られる、まるで妻を家庭の使用人としてみなしていると疑われるような心理のことである。

 

 結婚するまでずっと実家暮らしで全く家事をしたことがなくて、結婚してからも妻に任せきりの旦那、というのはよくある話だ。こうした旦那は、家事への適性が全くないという可能性もあって、諦めの気持ちが芽生えたりもする。

 ただやっかいなのが、学生のときは一人暮らしをしていたはずなのに、結婚すると全く家事をしてくれないという旦那である。一人暮らしの経験があれば、洗濯掃除、炊事の一部くらいは身につけているはずなのにである。自分もそれなりにはできるはずなのに、妻がいるならそれを任せきりにするというのは、明らかに妻を使用人とみなしているかのようだ。

 

 そしてこんな構図は、一般社会においてもうかがえる。使用者と従業員における関係だ。使用者は、その組織で行う業務において人を使うのだから、自分もその業務を行った経験はあるはずなのだ。経験があって一通りの内容を把握していないと、まともな指示を出すことはできないわけである。

 その中から一部の人は、そうした現場の経験を早々に切り上げて、今度は人を使う側に回ろうとする。組織の制度により、幹部候補が一時だけ現場の経験をしに来ただけ、ということもあるだろう。その後は自分は指示を出す側に回り、実際の作業、現場での作業は他の人にやらせる、ということになる。

 

 このように人を使う側に立つというのは、確かに一般社会においては目指したいと思われるものだろう。しかしこんな感覚が、一般社会のみにとどまらず、家庭内にまで持ち込まれているように感じられるのだ。その結果として、旦那が妻を使用人のようにみなす姿勢が成り立っているように思える。そのような旦那は、その気になれば自分も家事はできる、けどつまらない作業だから妻を使ってやらせてしまえ、なんてことを思っているのではないだろうか。

 

 人を使う使われる、利用する者される者、なんて関係は冷たいもので、一般社会の中だけにとどめておくべきものだろう。家庭内にまでこんな関係を持ち込む考え方には、やはり卑しさを感じずにはいられない。