読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

育児で親の協力を頼むのは意外に簡単じゃない、だから旦那が頑張ろう

 女性が社会進出するとなると、その分家事育児を行う時間が狭まることになる。女性だけで仕事をしながら家事育児をこなすことも無理ではないのだろうが、旦那が協力せずに妻に押し付けてばかりだと、後々まで深い恨みが残りそうな気がする。そんな旦那とは子供が独立したらもう一緒に居たくない、ということでの熟年離婚があるのも頷ける。

 なので、そういうことは考えないとすると、やはり誰かが家事育児の埋め合わせをしなければならなくなる。

 今回の内容でも、前回に引き続き「家事」を「育児」に含めて述べることとしたい。

 

 前回は男性の育児参加について述べたが、自分は女性の社会進出に伴う育児の埋め合わせは、基本的に旦那が行うものだと思っている。実際にそれを実践もしている。

 しかし周りで話を聞く限りでは、妻か旦那の親に手伝ってもらえばいいじゃないか、という話が簡単に出てくる。これってどうなのだろうか。

 

 もちろん、祖父母が近所に住んでいて、子供や孫のことなら自分の時間を進んで捧げるというような人であれば、協力を仰いだらいいのだろう。

 しかし、祖父母がすぐ近所に住んでいるなら進んで孫の面倒を見てくれたりするだろうが、祖父母がすぐ近所に住むというのも最近はめっきり減った話ではないだろうか。まあ、ある程度の近所、30分から1時間で行ける距離に祖父母が住んでいるのはよくあるだろう。しかし、孫の世話に自分の時間を進んで捧げる人でなければ、頻繁に労力をかけるには苦しい距離となる。

 あるいは、祖父母というとリタイアして老後暮らしをしているイメージがあるものだが、まだ50代などであって普通に仕事をしていることもある。近所に住んでいるかどうかに関わらず、仕事をしているなら空いている日しか孫の世話は頼めない。

 

 近所に住んでいない、近所に住んでいてもまだ仕事をしている、近所に住んでいて仕事もしていないが、すぐ近所でもないので頻繁には頼めない。祖父母に孫の世話を頼むと一口に言っても、これだけの障壁があるのだ。やはり本質的に、育児は親に手伝ってもらえばよいと簡単に考えるものではないのだろう。

 

 また、女性が平社員であれば親の協力なしでやっていけたとしても、女性が少しでも出世して役職がつくのなら、育児の理由で休むわけにはいかなくなるのだ、親の協力が必須なのだ、と捉える考え方もある。

 

 しかし、少しくらい出世したところで、育児によって残業ができなかったり休暇が多少多くなったりして、それほど問題はあるのだろうか。少しの出世で急に責任重大な立場に置かれる、ということは一般的にはないだろうし、残業ができないこと、多少の休暇の多さがあることが問題だとは思えない。旦那の協力を得られるのならその程度を軽減することもできるし、なおさら問題はなくなるはずだ。ここでも親の協力を強迫的に持ち出す必要性はないだろう。

 

 女性が要職にまで出世する、ということであれば親の協力を得ることも考えるところだが、女性が要職に就ける資質があるなら、もはや旦那が専業主夫をすればよいという選択肢も現れる。旦那に要職へ就く資質がないのなら、それでもいいんじゃないかと思う。やはり、親の協力を必ずしも得ないといけないというわけではない。

 

 女性のある程度の出世までは育児との両立に職場が寛容になる、旦那も協力してそれを補う、女性が要職にまで出世できる場合は専業主夫の選択肢を考慮する、その二本立てで考えればよいのだ。前者は職場と旦那、後者は旦那の理解を推進することが求められる。

 

 前回の話と合わせて、結論を述べたい。女性の社会進出による育児の埋め合わせで、親の協力は安易に求められるものではない、だから育児の埋め合わせは基本的に旦那が行うべき。職場としても、育児をする女性のある程度の出世へ寛容になること、またその埋め合わせで育児参加する男性へ不利益を与えないこと、以上の意識を持つようにすべきなのだと思う。

 職場がこうした理解を示さないでいると、育児参加する男性へ不利益が及び、育児の埋め合わせができずに女性の社会進出、出世が遠のくということになる。女性の社会進出ということが旗印に掲げられようとも、それはお題目として終わってしまうのだ。