社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

業務上の支障が明確にないなら、有給休暇は無条件で認められるべきだ

 おそらくこの話は、大多数の人から賛同を得られる話ではないだろうか。有給休暇は労働者の福祉のため、所定の休日以外にも付与されるものである。そして病気等による休暇とは異なり、労働者の自由意思で取得できるものとなっている。それだけで、有給休暇を取得する理由は問われるものでないことはわかる。

 

 ただ日本においては、有給休暇の申請を受けると、なんとなくの気持ちに流されて理由を聞いてしまう、そんな上司のほうが圧倒的に多いのだ。これはなんとも情けない話ではないだろうか。

 

 理由を聞いてしまう心理につながる概念として、時季変更権というものはある。明白な業務上の支障があるときは、使用者は労働者に取得理由を確認して、有給休暇を取る日を変更してもらう権利があるというものだ。

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 しかしこれも逆に言えば、明白な業務上の支障があるときしか行使できない権利であるとは言える。上司がなんとなくの気持ちに流されて、業務上の支障というものを脳内で作られても困るのだ。それはあくまで、客観的に説明できるものでなければならない。

 なので、時季変更権を行使する客観的な根拠がなければ、有給休暇の理由を聞いてはいけないのである。

 

 さらに言えるのは、有給休暇の理由を聞いて、その理由によって取得を認めないという偏屈な心理というのは、決して認められるものではないことだ。理由を聞いてよいのは時季変更権の行使がかかっているときに限られるわけだが、その時季変更権も、取得日の変更をお願いするだけなのである。客観的な根拠があったとしても、有給休暇の取得自体を拒否することはできないのである。

 

 こう考えると、なんとなくの根拠で有給休暇の取得自体を拒否すること、これがいかに不適切な心理であるかがわかる。なんとなくの根拠しかないならば、無条件で有給休暇の取得を認めるのが筋なのだ。これが、取得日の変更をお願いするという段階まですっとばして、取得自体を認めないということが行われているのだから、本当に世話がない。

 

 個人的には、業務上の支障がないと本人が判断したなら、もはや無条件で有給休暇を取ってよいと思う。本人の判断を尊重して、会社が取得日の変更をお願いしたくなる客観的な根拠は存在しないのだと、そう判断してあげればよいのだ。愚かな社会人でもない限り、休暇を取るべきではない客観的な根拠があるのに、それを放り出して帰るなんてことはしないだろう。

 

 さらには、これは意見が分かれるかもしれないが、当日に突然有給休暇を取りたいと言ってこられたとしても、それも本人の判断を尊重して無条件に認めればいいと思う。

 突然言われても困る、という話もよく聞くものだが、困るだけの客観的な根拠というのがあるのかどうかは、まあ疑わしいものだ。引き継ぎ体制が十分に備わっている組織であれば、突然休暇を取られても何の問題もないんじゃないかと思う。(そもそも、体調不良だったりすれば突然休むものだ)

 

 有給休暇に対しては、寛容過ぎるほど寛容であるべきなのだと、個人的には思っている。付与されている範囲内で休む分には、ほぼ完全に本人の意思が尊重されてしかるべきだろう。