やりがい搾取の仕組み(後編)
前回、ブラック企業などはやりがいを吹聴することで、労働者に過重な労働を負わせることを書いた。そして、過重な労働を負わせるうえに給与まで削減するということも行われる。
しかし、なぜこのようになるのだろうか。やりがいの吹聴で過重な労働を負わせるのはわかる。ただ、やりがいの吹聴で給与まで削減しようとすることについては、なんとなくはわかるのだが、いまいちその心理構造をつかみ切れない。
これは自分の意見だが、その心理構造として、上限を設けたうえでやりがいと給与を足し合わせて測る、という考え方が存在しているのではないだろうか。
例えば、上限が10とされ、やりがいと給与がそれぞれ5であるとしよう。このとき、やりがいが7になれば、給与が3になる、ということになる。
アイドルグループなど天職系の仕事であれば、やりがいが9ほどあったりするので、この理屈が持ち込まれれば給与は1ということになってしまう。
さらにタチが悪いのは、やりがいが3などに減少しても、給与が7になることはないことだ。給与は5に据え置かれるだろう。やりがいが増えた時に給与が削られるのみであるわけだ。
全くもって理解不能な考え方であって、こんな考え方に合理性はない。そもそも、やりがいと給与は別々に測られるものではないだろうか?先の例に倣うと、やりがいが5から7になろうと、給与は5のままであるのが自然な流れだろう。やりがいが増えたからといって、給与を削られる理由はどこにもない。
しかし不思議なことに、ブラック企業では上限制でやりがいと給与を足し合わせて測る、こんな考え方が横行しているわけである。
「やりがいと給与は別物である」あくまでこの理屈を強調して頭に入れておく、それが非常に重要なことだと思う。