平たく解説・公務員心理 「過剰な説明責任」その5
[今回の心理場面]
上位機関A:予算の査定も評価も、細かい部分まで全力で行おう。しかし、細かく見過ぎると疲れてくるな…これで評価まで行う体力が持つだろうか…。
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予算の査定と評価において「過剰な説明責任」を問うことで、過剰な説明責任を問う査定側の業務量が過剰となります。
そして何より大きな問題として、そのことが構成員の余力を失わせることにつながり、「説明責任の空白」を生む恐れがあることを提起したいと思います。
説明責任の空白が生じると、典型的には「査定は詳細に行われるが、評価がまともに行われない」という事態につながることが想定されるのです。
これは、査定の業務量が過剰であることで評価を行う余力が失われていること、あるいは査定の段階で詳細なチェックを行っていることで、評価の段階ではもはやチェックを行う必要はないのでは?という心理が入り込むことで生じるのではないか、と考えられるわけです。
しかし詳細な査定を行ったとしても、そうした厳しさから逃れる方法を考えるのが人の常というものです。厳しさから逃れるテクニックによって、無駄な予算が詳細な査定をくぐり抜けることもあるでしょう。
そうした無駄な予算が査定を通ってしまえば、その先は余力が尽きて評価がまともに行われないということであれば、好きに無駄な支出を行えてしまうというわけですね。
次回は、「説明責任の空白」によるさらなる弊害を続けて述べていきます。
アカウンタビリティを考える―どうして「説明責任」になったのか
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