社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

アギーレ日本代表監督の解任について

 自分の好きなサッカーの話題から、組織心理論も垣間見えた件ということで、連載中ですが飛びつき気味に述べさせていただきます。笑

 

 過去の八百長疑惑によって解任へ動かざるを得なかったという話で、今回はこのことへの対応はどうあるべきかが問われています。

 

 自然な流れでは、八百長疑惑を事前に把握できず代表監督に就任させた、責任者の任命責任が確実に問われるべき、となるでしょう。

 

 ただ…諸々のマスコミ記事を見る限りでは、どうにも「次の監督は誰だ?」という話が競って取り上げられるばかりで…。

 

 挙げ句には、以下のような記事もありました。一部抜粋で紹介させて頂きます。

アギーレ監督「電撃解任」 協会の”任命責任”を問えば、日本サッカーは「崩壊」する!〈dot.〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150203-00000014-sasahi-socc

 

<一部抜粋>
 問題は、3月に控えるテストマッチや6月から始まるW杯予選への準備である。一部には、アギーレ監督を招聘した原前技術委員長や霜田技術委員長の任命責任を問う声もあるが、いま彼らを解任してしまえば、技術委員会が崩壊し、新監督選びも座礁に乗り上げる。日本代表の強化に継続性を持たせ、さらにアンダー世代の強化や育成にも着手している現在の技術委員会を存続させるべきだ。

 


 もっともらしく聞こえるのですが、絶句しそうな内容。

 

 「次の監督のことを考えよう」「責任者が今までの問題とこれからの課題を把握しているんだから継続して担当させるべきだ」
 これらの理屈は、過ぎたことは仕方ない、今後のことを前向きに考えておけばいいんだ、なんて心理から来るのでしょうが、、

 

 しかしそんな理屈を言ってしまえば、何のために責任者がいるの?って話になります。「責任」者なのだから、有事の際には責任を取ってもらわないと困るわけです。

 こんな盲目的に前向きな理屈は、責任者を雲隠れさせる手段にしかならんでしょうと。

 

 大問題を受けて、次の監督を考えるにも、今後の課題について考えるにも、これまで責任者が担当してきたんだ、責任者は失敗からの復旧に意欲を示しているんだ、といった話があったりもします。

 が、その人は「大問題を起こした頭」を持っているわけです。だから、一度リセットして、新しい責任者の新しい頭で考えていく、というプロセスを取るのが正しいのだと思われるところです。

 
 というか、普通の組織はそうしたプロセスを取るんですよね…。

 どうにも、公的な組織(特に日本の)はそういう思考が抜け落ちることのあるようなのが残念です。