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社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

上司対応の遅さ

前回の「マッチポンプ論」にも通ずる話で、組織における心理論を。

マッチポンプ論では、上司が部下に十分な指示を出さず、部下が困り果ててから上司が十分な指示を与えるという行動を取り上げたのだが、これがもっと組織的な大きな話として現れることがある。

というのは、外の相手と交渉をしているときに、話の大きさ的に上司が出てしかるべきであるのに、長らく部下に引っ張らせて部下が疲れ果ててから、そこで初めて上司が出てくる、という構図が存在するということだ。

率直に言えば上司が無責任、臆病ということなのだろうが、これも部下が教育の意図のようなものを受け止めてしまって、抱え込んでしまって厳しい思いをするようなことが生じる。

一例として、書籍からの体験談にはなるが、経済産業省農林水産省で行われたやり取りの話を読んでいると、まさにこの構図が現れていたように思う。

乱暴な括りかもしれないが、経産省規制撤廃農水省は規制保護に走る性質をそれぞれ濃く有している省庁であり、両者での交渉は大事になることが多いと。

そして書籍で挙げられていたのは、民間企業による農業参入の話。

この交渉において、筆者は経産省の担当者として農水省とやり取りをしていたが、ほとんど農水省から聞く耳を持ってもらえない状況が続いたとか。しかし経産省でプロジェクトをぶち上げた以上は引くに引けず、担当者としては心労が溜まる一方、体を壊してギブアップして担当から下りる人も続出してきた、というおぞましい話だった。

最終的には、お互いの大臣が出てきて話は易々と進んでいき交渉がまとまったとのことだった。そして筆者は交渉のまとまりにおいて大臣へ感じた感謝の気持ちを綴っていた。

しかし待ってほしい…経産省農水省の間での難航必至の交渉に関して、なぜ担当者が心を病ませるまで上司が出てこないのだろうか?こんな交渉事ならば、双方の幹部、大臣が早い段階で場に出なければならないのは当然のはずだ。

そこを担当者が抱え込んだまま、遅れて出てきた大臣に感謝するというのはお門違いではないか?

上司としては、「簡単に上の者に出てもらおうとするな、甘えるな」なんて理屈を恥もなく言うのだろうが、話の大きさ的に上司が最初から対応すべき場面で上司が出てこないのは、その上司の無責任さ、無能さを表しているだけなのだろうと思う。

部下としては、泣きつきと見られようと何でもいいから、抱え込んで心を病む前に、上司へ任せようとする心構えが求められるところである。

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