社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

国政と地方との距離感について

 自民党土屋正忠衆院議員は自身のブログで、田上富久長崎市長が平和宣言で集団的自衛権をめぐる議論に懸念を示したことについて、「核廃絶の祈りではなく、平和を維持するための政治的選択について語りたいなら、長崎市長を辞職して国政に出ることだ」と批判した。(時事通信)

 このニュースについて思ったことを。

 この記事へはyahooコメントで、右寄り左寄りいずれの意見に対しても、不同意が相当数ついている。これは論点が整理しにくく、右寄りと左寄りどちらの論点で捉えればよいのか混乱を招いているのだと思われる。

 自分が考えてみても、確かに考えれば考えるほど頭がこんがらがりそうになってくるが、このニュースの論点はおそらく以下の3つに分解できるものと考えるので、それぞれ述べてみたい。

 (1)核廃絶の話と集団的自衛権を絡めることについて

 平和宣言で集団的自衛権を絡めることの是非を問う、1つめの論点。

 右寄りの視点では、集団的自衛権を行使することこそが平和につながるという見方であり、左寄りの視点では、集団的自衛権を行使することはやはり一部の平和を犠牲にするという見方になり、これは議論しても平行線を辿るので、どちらが正しいとは言えない。

 (2)集団的自衛権自体の是非について

 長崎市長集団的自衛権を批判していることを問う、2つめの論点。  これは何とも言えないものだが、自身の視点を入れさせてもらうと、右寄りの視点から集団的自衛権は必要だと捉えるのが正しいと考える。

 ただこの話は以前から出し尽くされており、この記事における主たる論点ではない気がする。

 (3)地方の首長が国政への意見を述べることについて

 地方の首長が国政への意見を述べるな、と国会議員が発言したことの是非を問う、3つめの論点。

 おそらくこれがこの記事の意図するところで、左寄りの論点では、国会議員しか国政について意見してはいけないのか、言論の自由はどこへいった、という話になる。ここへ(1)(2)の論点が入り込むことで、この記事の論点がややこしくなっているのかと。

 これは全くその通りで、言論の自由がある以上、国政の話であろうとそこへの意見を封殺するようなことは、市民意識の高じた現代では認められないことになる。ここでは左寄りの視点が正しくなる。

 この記事のように両者の論点が絡むのは珍しいものかとは思われるが。。おそらく(3)の論点が主たるものであると考えられるので、戦争が絡む話なのでどうしても(1)(2)の論点が出てきてしまうが、これらは別に置いておくことが必要であり、この記事においては左寄りの視点を取ることが適切なのかと思う。