社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者による、社会を変化させるような社会心理論、組織心理論がいかなるものか、その考察内容を綴ったブログです。

原告側の立証責任

タイトルは固い…が日常でもありがちな心理について。

あることを主張している人に対して、なぜそうなるかの説明を求めたときに、説明を求められた側が「なぜそうならないと思うのか説明して」と返してくる…という状況にしばしば遭遇する。

なぜそうならないか説明して、と言われると、どうにもこちら側にも立証責任があるのかなと思ってしまい、口をつぐんでしまうということにも。

確かに口をつぐんでしまうのであるが、これはよくよく考えれば、あることを先に主張し始めた側があるならば、その側に立証責任があるということが原則になる、と言えそうである。

相手が主張し始めた内容について、それを問い詰める側がなぜその立証をしてやらねばいかんのだと。

取り調べにおける不条理なやり取りの例として、「なぜ君がやってないと言えるのか説明してみなさい」と問い詰められたいうことが挙げられていたが、これもまさに原則への違反が表れているところと言える。

やったかどうかを立証するのは取り調べする側の責務でしょうが、と。

これもよくよく考えれば、裁判の「原告」と「被告」においては、必ず原告側に立証責任が求められている。

だからこそ個人が組織相手に訴えを起こすには相当な労力を要するという話にもなるわけで…。

シンプルにこの裁判の理屈になぞらえれば、冒頭の開き直りに対しても、こちら側にも立証責任があるのかななどと戸惑わずに、相手側が主張を始めた「原告」なのだから相手側に全面的な立証責任がある、と考えることができる。「君が言い始めたのだから君に説明する義務がある」と言えれば、こうした場面にもすんなり対処できるのかなと思うところである。

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